2015年5月31日日曜日

社のある道 狭山編「狭山八幡神社」その二

どうもご無沙汰しております!

社のある道 狭山編その二です。


拝殿に参拝し、風景を堪能したところで摂末社を巡って行きたいと思います。



境内の奥の、さらに小高くなっている場所に摂末社はありました。


上の写真、階段横の立て札がこちら。
誰かのため、国のために貢献した人を祀るというのは、過去を大切にする上でも大事なことだと思います。


こちらがその「入間川神社」です。


参拝して、感謝のお祈り。


お社の隣には砲弾の石碑がありました。
これが飛び交っていた時代があったかと思うと恐ろしいですね・・・


お隣「琴平神社」。
祭神は第十代「崇神天皇」で、昔に嵐で遭難していた漁船を天狗の姿となって助けたといわれる神様です。


左には「大鷲神社」。
祭神は「保食命(ウケモチノミコト)」という食べ物の神様です。
うーん、よくある大鷲神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)なんですけど、これはこれで何か関係があるんですかねー。
日本の神さまは色々と混ざり合って信仰されていたりするので、なかなか難しいですね!


そしてさらにお隣、「思兼神社」。
祭神は八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)と聖徳太子です。
八意とは多くの知恵という意味であり、聖徳太子と共に英知の神さまとしてお祀りされています。


最後に神楽殿の隣、「八雲神社」です。
祭神は「須佐之男命(スサノオノミコト)」、さまざまな逸話を持つ武運の神様です。


本殿の左側には、この神社の史跡・宝物の案内板が立っていました。


新田義貞とは、前にも所沢の「鳩峯八幡神社」に行った時に兜掛けの松がありましたね。
正式名は源義貞で、足利尊氏のライバルで鎌倉幕府を攻撃して、滅亡させた人物です。

元弘3年5月、北条高時を打つべく挙兵した新田義貞は、所沢小手指原で幕府軍との戦火を交えました。その時にこちらの神社に戦勝を祈願しに来た際、愛馬をつないだ松がこの松だと言われています。


市指定文化財・無形民俗文化財の八幡神社鹿子舞。
だいぶかすれてしまっていますが、獅子舞ではなく鹿子舞と書く由来は武蔵地方では鹿を「しし」といった事からだと伝えられているそうです。
そういえば、ジブリの「もののけ姫」でも「シシガミ」が出て来ますけどあれは「鹿神」ということだったんでしょうか。
現在は秋季大祭のときに豊饒を祈って行われています。


県指定文化財、「砂破利の壷」です。
こちらの神社の創建の際の地鎮祭のときに埋められたものと推定され、この神社の年代を示す品物です。


いよいよ!
僕が気になっていた写真にあった、八幡神社の本殿です。
若干下が切れてしまっていますが、こちらが御由緒になります。
本殿は1796年から約7年の歳月をかけて建造され、全面に彫刻が施された壮麗な作りになっています。


右斜め前から。
随所に彫刻が施されています。
柵があるので、近くで見ることができないのが残念ですが、すばらしいですね!


そのまま右側面へ。
見れば見るほど緻密な彫刻です。


右後ろ斜めから。


上を見上げても、屋根下まで彫刻が続いています。


左斜め前から。
いやー、この細かい部分はどうなっているのか・・・写真を見ていると胸がザワザワとしてきます。
そんなわけで、こちらの神社に赴いたわけですが貴重なものを見させていただきました!

神社の本殿は神様のおわすところなので、まじまじと見たり写真を撮ったりするのは恐れ多かったんですが、この荘厳さをぜひ伝え残したいと思い、記事にさせてもらいました。

実際、写真を撮っているときには、撮影していたスマホの電源が落ちたりなど「神様がお怒りなのか・・・!」というような出来事がありましたが、帰りにも参拝し、その旨平に平にお願いしてきたので大丈夫だと信じたいです。


「狭山八幡神社」のHPはこちらから http://www.sayamahachimanjinja.com/

以上、社のある道 狭山編でした。


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